COACHING OF “LIFESKILL”

\ ライフスキル視点のコーチング /

コーチングのジレンマとは何か

コーチはなぜモヤモヤするのか?

なぜ、コーチはモヤモヤを抱えるのか?それが「コーチングのジレンマ」だと感じたのは、 すでに現役の指導者を引退してからのことでした。私は11年間にわたり、高校生の男子の ハンドボールの指導者として、選手と共に目標達成に向けた準備を進めていましたが、こ のモヤモヤの正体を抱えたままだと、勝負がうまくいかないことも実感していました。 現役のコーチを退いてから、(結婚と出産をして)慶應義塾大学の教員になってからは、 湘南藤沢キャンパス(以下、SFC)で、教員として大学院生や異分野の教員と学ぶ機会が 常で、スポーツの社会的な見方、心理的な見方など、多くの見方を知ることになりますが、 私の博士研究もこうした学びから生まれました。「なぜ、コーチはモヤモヤをかかえるのか」 という自分でも見えづらい複雑な心理的葛藤は、ゲーム理論囚人のジレンマのモデルの援 用で解決されることに気がつきます。「コーチングのジレンマ」によって、複雑なコーチや選 手の心理面を整理することが可能となったのです。

「ズルい」が増えると、
チームが機能しなくなっていく。

「モヤモヤ」に隠された心理は、実は、自分自身の勝手な思い込み、評価、他者との比較 など、「外側の自分」を大きく見せることで大きくなっていきます。こういう状態では望ましい コーチング「目標達成のために意図的に自分の権限を配分する(東海林,2013)」が困難と なるのです。 スポーツでは、試合に出場できるメンバーは限られていることから、選手間にも「ジレンマ」 が発生します。本来は、チームメンバーそれぞれが協力することでより良い力が発揮できる のに、そうではない状態(相手だけがズルをして得をし、自分が一生懸命やったのに損をす る状態)になると、「誰もが協力しない」ことが合理的な選択となり、チームは停滞してしまう のです。「あいつズルい」が増えるとチームとして機能しなくなります。「あいつズルい」がごく 少数であれば、指導者の権限の行使が強いquickコーチング(スポーツコミュニケーション 参照)で修正が可能となります。しかし、これが増えていくと、真摯にスポーツに向き合って いた選手も「ズルい」ことが合理的になってしまいます。 こうした状態は、スポーツチームに限らず、企業、学校、ご近所など、人と人との関係性が 求められるところでは多くの場面でジレンマの発生が見られます。どのようにしたら、望まし い組織に向かうのでしょうか?

なぜアスリートは声をあげないのか?

東京2020大会は、COVID19の感染状況の影響で開催時期の検討や延期がなされ、社会にスポーツの在り方を問う大きな機会となりました。アスリートはトレーニング自粛による目標設定の困 難さや開催是非を巡る世論の動向によって大会参加の当事者として複雑な状況に置かれたと考 えられます。しかし、こうした葛藤を抱える「アスリートから発せられた声は小さかった」(石坂、 2022)とありますように、日本のアスリートは声をあげることはほとんどありませんでした。なぜで しょうか?さまざまな政治的事情やスポンサーの関係など背景があるにしても、こうした状況にお いて、声をあげるというのはスポーツと社会に関して、「思考」が伴う自分自身の「哲学」を伝えるも のとなります。そうした価値観に基づき、スポーツのあり方をアスリートの立場から発していく機会 を今後はもっと増やしてほしいと感じています。アスリートは常日頃からスポーツの場面でも仮説 を持ち、検証していくことで自分なりの考えや競技のスタイルができてきます。アスリートを育成す る環境は、限定された人間関係に留まることなく社会との接続の機会を増やしていくことが、アス リートやスポーツの価値や考え方を社会に伝える機会にもなるのではないかと思います。アス リートを取り巻く環境はこれから大きく変化していきます。全柔道連盟の小学生の全国大会の一 部禁止や中学校の部活動の地域以降はそれを物語っています。東海林(2022)は、特にチームス ポーツにおいては、「アスリートが勝敗のみを起点にコミュニケーションをとらえることは、ともすれば チーム外や社会への視界を遮ることになり、このことは結果としてチームのパフォーマンスや選手 自身のキャリアにも影響するというジレンマにつながりかねない.」としています。

コーチングのジレンマを乗り越える事例をご紹介

現在、バスケットボール女子日本代表コーチおよびアンダー18以下の育成年代監督の薮内夏美さんの事例をご紹介します。薮内さんが、あるトップリーグのチームのヘッドコーチだったときの話です。当時、私はたまたま、薮内さんの女性エリートコーチ育成というJCSの取り組みの一環で、薮内さんのメンターをすることとなり、薮内さんのコーチとしての悩みを聞く立場にありました。「日頃の練習や試合でも、選手がなかなか主体的に声を出すことができなくて、キャプテンや副キャプテンに発言を任せてしまっています。もっと当事者意識を持っていかないと強くなれないと思っています」という悩みでした。それを理論的に可視化したのが以下の図です。囚人のジレンマモデル援用のコーチングのジレンマを紹介します。

チームが勝利を目標にチーム力を向上させるためには、チーム全員が暗黙的に「協力」して当然ということがスポーツチームには前提としてあります。
しかし、一方で次のような心理的な葛藤も持ち合わせています。

1) 選手に限らず、人はみな「協力」と「裏切り」のカードを持っている

2) それぞれが「協力」を出すことが望ましいことは二人が理解している

3) しかし「裏切り」の選択肢もあり、相手がそれを出すかもしれないということも双方が理解している

4) 「協力」か「裏切り」をだすかは、そのときになってみないとわからない

薮内さんの事例「主体的な発言」で言うと、選手の両方が「主体的に発言する」ことが望ましいことはわかっていても、相手が声を出さない「裏切り」を選択した場合に、自分だけ「発言」するという状況は、自分だけ「損」をするという心理的な葛藤を生み出すのです。すなわち、ジレンマの定義としては、「相手が得をして、自分が損をするくらいなら、相手に協力しないほうがいい」となります。

結局は、「発言」をしないほうがましという「裏切り」の選択が合理的となります。こうした状況を生む背景は何でしょうか?それは、おそらく育成年代までのコーチングにあると仮説が立てられます。チームの中で良かれと思って「意見や発言」をしたけれど、それをコーチに否定されたり、意見をしたことを理由に、選手から外されたり、チームメイトから馬鹿にされたりという、こうした経験が、「協力」を「裏切り」に変えてしまう要因だと考えます。「裏切り」にもいろいろなパターンがあります。選手自身が相手に任せて(ここではキャプテンや副キャプテン)に任せて「考え」を放棄し、何も意見を言わないということは「裏切り」となります。
こうした協力することが前提となっているチームスポーツでは、あいまいな領域で多くの「協力」と「裏切り」があります。これを「協力」に導いていくことがまさにコーチングと言えるでしょう。心理面を可視化していくことは客観的にコーチングをとらえることができるということになります。
薮内さんがこれを解決するためにどのようなライフスキルプログラムを展開して、望ましいチームを作っていったかについては、ホームページの「取り組み」の「コーチングの仮説検証」で事例を紹介しています。

参考文献

・石坂友司 (2022),『現代スポーツ評論46 』
・東海林祐子(2013)『コーチングのジレンマ』ブックハウスエイチディ
・東海林祐子(2022)第6章 トップアスリートとコミュニティ,『ヒューマンサービスとコミュニティ : 支え合う社会の構想』(秋山 美 紀・宮垣 元 編)勁草書房.

CASES STUDY

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